会社員生活がほとほと嫌になり50歳を機に早期退職、現在は第2のモラトリアム中。311後、マレーシアのクアラルンプール(KL)へ移住、のんびりと暮らしている。
海外暮らしは得るものがあれば、失うものもある。温泉、落語会、サッカー観戦が大好きだったけど、できないのが残念。
それと、すしを食べることも諦めたことのひとつ。
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英語のティーチャーにクリスマスはどうするのかと問われ、「何もしない、普段と変わらない1日だ」と答えると、相当奇異に感じるらしい。さらに、我が家は何年も前にクリスマスにはプレゼントを贈らないと決めたと言うと、非常に驚かれてしまう。
どうせプレゼントを贈り合っても、同じ家計から出ていくのだし、それだったら各自が好きな物を自分で買った方が、合理的なのではないか?それが心がこもっていないというのなら、何も混み合ったクリスマスにやらなくても、自分たちでアニバーサリーを決めて、その日に祝った方が楽しいのではないか?例えば、初めて子供が歩いた日とか、KLにやってきた日とか、何でもいい。毎月決めたらいい。
正月も、異国に住んでいることもあるけれど、特別な感慨はない。紅白は小学校以来見ていないし、年越しそばは食べないし、おせちは決まった物(かまぼこ、雑煮)しか食べないし、初詣は行かないし、元から書初めは書かないし。残っている習慣といえば、お年玉と年賀状くらいか。
というか、世の中も正月の要素が希薄になってきていないか?スーパーや大型店も休むのは1日だけで、2日からもう営業しているから正月気分なんてなれないし。会社員時代は正月休みが楽しみだったが、リタイヤした今となっては正月休みの意味もない。
そもそも正月というのは、集金や支払いが終わり無事に年が越せたということで、次に迎える新年が感慨深いのであって、年の瀬に何の感慨もない者にとって、正月に意味があるわけがないだろう。
そうした慣習は宗教などの信仰にバックボーンがあるのだから、何の信仰心もない日本人にとっては、クリスマスも正月も単なるイベントでしかない。だから、特別な日にはならない。
信仰どころか、何も信じているものがないことに、今さらながら驚く。信じるものがあるとすれば、自分と家族だけか。
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