会社員生活がほとほと嫌になり50歳を機に早期退職、現在は第2のモラトリアム中。311後、マレーシアのクアラルンプール(KL)へ移住、のんびりと暮らしている。
海外暮らしは得るものがあれば、失うものもある。温泉、落語会、サッカー観戦が大好きだったけど、できないのが残念。
それと、すしを食べることも諦めたことのひとつ。
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いずれリタイアしたら海外で暮らしたいと、以前から思っていた。しかし、計画では60歳を過ぎてからの予定であった。それが早まったのは、福島原発事故のためだ。その後の放射能拡散により関東地方にも危機は及んでいたが、事故だけだったならば、何も海外に脱出する必要はなかった。空間線量は年間で1ミリシーベルトを多少超えるくらいだから、気を付けていれば生活できないレベルではない。海外に出ようと決断した理由は、政府の棄民政策だ。瓦礫の広域処理や食べて応援・・・これでもかと繰り出される汚染の全国への拡散。逃がさなければいけない人たちを逃がすどころか、汚染地帯を広げようとする暴挙のためだ。
12月にマレーシアへ出発する前は、東京を本拠にして、1年の半分を九州の博多で暮らしていた。現地で暮らしてみると分かるが、食べ物のストレスがない。スーパーで売っている野菜や、飲食店で出されるご飯や野菜はほとんどが九州産だ。だから、安心して食べられる。これは何処産の野菜だろうかと、心配する必要がない。そういう点でストレスが溜まらない。
北九州市の瓦礫焼却によって、九州も無傷ではいられなくなってきた。さらに食料は産地を選別すれば何とかなるが、これから気を付けなければならないのは、目に見えない部分だ。野菜を育てる時の肥料や土壌、家畜に与えるエサや加工食品に使われる水質などだ。どんどん追い込まれた結果が、この選択だったということ。さらに、東南海地震や富士山爆発のリスクもあるし、とにかく、落ち着いて暮らせる場所が欲しかった。

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